“「星の王子様」に「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。」という言葉があります。 世界が美しいのは秘密を内包しているからです。 貞操を持つ人に魅力があるのは、美しい物語をそっと秘めているからです。 現代人は輝きを外に出そうとして何でも話し過ぎますが、ちょっと品がないですね。”
— http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1347971908 (via f-channel)
“「星の王子様」に「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。」という言葉があります。 世界が美しいのは秘密を内包しているからです。 貞操を持つ人に魅力があるのは、美しい物語をそっと秘めているからです。 現代人は輝きを外に出そうとして何でも話し過ぎますが、ちょっと品がないですね。”
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“なまじ社会人やってると、仕事してる程度で何かをやってる気になるから危ない”
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いいこというなあ
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“何だかみんなすごく怒りっぽくなってる気がする。芸能人のスキャンダルや政治家の失言をこれでもかとボコボコにするし、不謹慎なツイートやブログエントリーが炎上する。電車が遅れれば駅員に殴りかかるし、刃物を持って振られた女を刺しに行く。みんなイライラして些細なことでキレるし、キレたら何をするか分からない。 通勤電車では空席を目がけてマジもんのダッシュでショルダーチャージくらいは日常茶飯事だし、自動改札にひっかかると露骨に舌打ちされる。クレーマーは初めから粘着する気満々で店にやってくるし、対応に出てくれない上司は後で文句だけ言う。誰もがイライラしている。そして誰もが疲れている。”
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““アルバート・マリといういい作家がいる。ジャズ史に詳しい、わたしの親しい友人だ。彼からこんなことを聞いたことがある。アメリカの奴隷時代ーーわれわれは当時の残虐な行為から完全に解放されることは不可能だろうーー、奴隷所有者の自殺率は、奴隷の自殺率をはるかに超えていたらしい。 マリによれば、その理由は、奴隷たちが絶望の対処法を知っていたからということだ。白人の奴隷所有者たちにはそれがなかった。奴隷たちは自殺という疫病神を、ブルースを演奏したり歌ったりして追い払っていたのだ。マリはほかにも、なるほどと思うようなことを言った。ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。どうか、よく覚えておいてほしい。” - カート・ヴォネガット『国のない男』 何度でもrblgするよ (via hanemimi) (via hanemimi) 2010-01-03 (via quote-over100notes-jp) (via toy-box08) (via nanashino) 何度でも (via myk0119) (via oatmealed) (via odakin) (via text-man) (via tlav95tlav95) (via schlafmangel) (via yta87) (via hanemimi) (via eternityscape) (via dsnbrgcom) (via layer13) (via kbr8) (via yellowblog) (via z24da) (via sadjoh)(via chikada)(via macccya)(via tory33)(via hanemimi)(via inumoto)(via okadadada)(via pipco)”
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“変態番付で昔、「女の子が虫を踏み潰す姿がみたい」と、電車内に大量のイモ虫をばらまいた男がノミネートされたが、「文学的すぎる」という理由で却下された”
— 【三重】ダイコン100本盗んだ中3女子を逮捕 路上に並べ車がダイコンをひいていく音と形の変化をなどを見て楽しむ★2 (via mamemomonga)
“ 「礼儀正しい」ということは、つまり「油断しない」ということなんだね。 対面している相手が、一体どんな相手なのか、何を考えているのか、まったく分からない、自分にいかなる敵意や思惑をもっているのか分からないという認識、油断しないという態度が、礼儀正しい姿勢に出るんだ。 僕も時々、仕事で不作法な人に会う。挨拶をしないとか、とても高飛車な態度をとるとか。でも、僕はそういう人にたいしては、ある種の安心をしてしまう。というのは、そういう人というのは、結局たいしたことがないんだね。不作法な態度をとるというのは、相手を見くびっているということだ。 見くびるというのは、失礼である以前に、認識が甘い、ゆるい、ということなんだな。”
— 福田 和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』小学館 2002 (via mawhata, kojiroby-quote) (via usaginobike) (via hk2mrhu) (via fukumatsu) (via a2onaka) (via nonono613) (via nyapo) (via anyu) (via muhuhu) (via kkj114) (via katsuma) (via deli-hell-me) (via uowou) (via netinago99) (via em1) (via usaginobike) (via handa) (via cliqueclogs) (via shantihtown) (via ryuuya) (via cr96) (via hotmailtumblr) (via s-hsmt) (via lllkml) (via petapeta) (via rosarosa)
2011-03-03
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“その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。 中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。 ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。 「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。 間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。 二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」 と書かれていた。 三年生では 「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」 三年生の後半の記録には 「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」 とあり、四年生になると 「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」 先生の胸に激しい痛みが走った。 ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。 先生にとって目を開かれた瞬間であった。 放課後、先生は少年に声をかけた。 「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」 少年は初めて笑顔を見せた。 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。 授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。 少年は自信を持ち始めていた。 クリスマスの午後だった。 少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。 あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。 先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。 「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」 六年生では先生は少年の担任ではなくなった。 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。 「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」 それから六年。またカードが届いた。 「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。 十年を経て、またカードがきた。 そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。 「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担当してくださった先生です」 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。 「母の席に座ってください」 と一行、書き添えられていた。 月刊誌『致知』連載にご登場の鈴木秀子さんに教わった話である。 たった一年間の担任の先生との縁。 その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。 ここにこの少年の素晴らしさがある。 人は誰でも無数の縁の中に生きている。 無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。 大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。 『致知』編集発行人 藤尾 秀昭”
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via: 致知出版社 公式サイト
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で、その英語のソイ・ソースですが、「大豆のソースだから」というのは間違いのようです。
江戸時代、長崎出島からコンプラ瓶というものにつめられて醤油はヨーロッパに輸出されていました。そこに書かれていたのが「JAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤ)」(オランダ語)。意味としては「日本の醤油」。ソヤというのが醤油そのものをさし、(このソヤというのは、どうも九州でのショウユの方言らしい)ZOYAが英語でSOY(ソイ)に。(フランス語はSOYA)そもそも当時ヨーロッパには大豆は無く、ゆえに大豆を示す名前もありませんでした。そこで、醤油の原料として使われる豆を「醤油豆」の意味として「soy bean」と呼ぶように。つまり、そもそもsoyが日本語の「醤油」であり、そこから大豆をソイ・ビーンと呼ぶようになったわけで、「大豆のソース」だからソイ・ソースではないようです。逆ですね。
ReadMe!Girls!の日記・雑記: 醤油風雲録 〜キッコーマンの野望と九州醤油〜
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枝豆を食べる習慣が最近までなかったのも頷ける話
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